最近、悲しい事件が相次いで報道されています。

様々な事件によって、命を落とされた方、そしてあとに遺された方々に哀悼の意をささげます。



どうしてこのような事件が身近で? -家族療法の視点


最近の事件は、特殊な場所で、特殊な人が関係するというよりは、身近な場所で、すぐ隣で普通に生活をしていたと思われていた人が、実は周りが想像するよりははるかに困難な状況に置かれていて、それを誰も助けられなかった・・・という悲しい結末です。


とても痛ましく、悲しい出来事です。でも、どうしてこの様なことが起こってしまうのでしょうか。事件を起こす人のこころの闇には何が潜んでいたのでしょうか・・・


という報道は多くなされます。でも、ここで終わってしまっては、命を落とされた方々が私たちに残してくださった教訓をそのままにしてしまう様に思います。この様な出来事を、『こころの闇』という見方ではなく『人間関係』から読み解くと、いろいろな側面が見えてきます。


様々な事件から垣間見えることのうち、2つ述べてみます。

『親は子を思う。そして、それ以上に子も親を思っている・・・』という事ではないでしょうか。子も、親に心配をかけまいとして、実は本音を語らないことが多い。むしろ、親だから言えないこともある、という事を大人がよく理解しないと、知らず知らずのうちに両者の関係に溝ができていることに気づかなくなってしまいます。気づいたときには、すでに大きな問題に発展している、という事も多いのです。


それと、もう一つ。

これまで、核家族というひとつの形態を、多くの人が安全で理想の人間関係の在り方だと思ってきました。が、実は、いくら努力しても、自分の家族だけでは解決したり、抱えたりできず、むしろ重大な問題(事件)を引き起こす危険性をはらむのも、実は核家族の側面であるという事です。幼児虐待は核家族の閉鎖性によってエスカレートしますし、アダルトチルドレンも家族の閉鎖性によって生まれるものです。


親子は、感情的に非常に近い存在だからこそ、温かい関係になれる側面を持っていると同時に、近い存在だからこそ、感情的にもつれやすく、一旦もつれると、自分たちでは解決しにくくなる、それが家族の本質なのかもしれません。 


実は、ひきこもりも同様にして起こる、と考えるのが家族療法的視点です。




家族は学ぶ時代です


日本では、臨床心理学の領域が、臨床の専門家養成ということになっていますが、現在のところ、大学院で、特定の心理療法理論と、それに基づく技術を指導することはありません。また、家族療法は大学院においては、概論も教えないところが多いのが現状です。

 

日本では、家族関係は、家族の力だけではなく、地域・コミュニティーにおけるつながりが、その補完の役目を果たし、お互いに支えられてきました。しかし、核家族化が進み、またプライバシーという名のもとに、家族は思いもよらない危険にさらされてしまいました。

 

家族療法は、心の問題を解決するというよりは、人間関係を主軸として家族や家族内の問題、人間関係の問題といわれる内容を理解しようとするものです。

『こころの病にかかった人』を治すのではなく、人として問題解決を試みるための方法を勉強したい方に向いています。