ところで依存とは何でしょうか。
どの程度が依存症で、どの程度は安全な依存なのでしょうか。
そもそも、『依存』という状態は、日常茶飯事起きることで、それ自体が問題なわけではありません。
誰だって、不安になったり、ちょっと寂しくなったりすると、誰かと話がしたくなったり、ぶらぶらと人のいる街に出かけたり、現代ではインターネットの人との繋がりを求めたりするなど、ごく自然の行為です。また、失恋をして悲しかったりすれば、やけ食いをしたり(食べ物に対する依存といえます)することだってあります。
人間は、どんなことでも一人で乗り切れるほど、精神的に頑強に出来ているわけではありません。様々な耐えがたい出来事が起こったとき、こころの安定を図るために、誰か、あるいは何かに頼りたくなったり、支えてもらいたくなったりするのは、自然のことです。
『依存』と『依存症』との違いは、必要以上にそれに頼ったり、そのことによって、日常生活・社会生活にも好ましくない影響が及んだりして、それでもそれを止める事が困難かどうか、あるいは長期に及んでいるかどうかです。『立ち直るまでのしばらくの間、一時的な松葉づえとして頼っている』という状態ではなく、『こころの安定のためには、それがなくては生きられない状態』、つまり依存対象と共存していることになります。この状態が、『依存症』です。
日本における、アルコールが絡む様々な出来事に関して、皆さんはどの様に感じておられますか?
例えば、テレビ等で、警察官がぐでんぐでんに酔った成人男子をなだめすかしながら面倒をみている姿を、どの様に見ておられますか?
日本に生まれ育つと、”まぁ、酔っ払いってそういうものかな”ぐらいに軽く思ってしまいますが、これが依存症レベルになると、話は全く異なってきます。
アルコール依存症は、本人の心身に大きなダメージを与えるだけではなく、家族にも、一生涯にわたって影響する大きな心身のダメージを与える、深刻な症状です。
実は、アルコール依存症の家族というのは、とても深い傷を負っていることが多いのです。アルコールに依存している本人に対しては、行動に現れる様々な症状から、『仕事上のストレスが多いのか?』とか『気が弱い』などの関心が集まり、治療の必要性は誰しも気がつく事です。しかし、その家族達が、傷を負っている事は見過ごされがちです。
なぜならば、一つには、アルコール依存症の人を抱える家族は、傷を負ってはいるものの、見た目には、健康体に見えるからです。そして、もう一点重要な事は、アルコール依存症を抱える家族成員に与えるダメージが、一見すると、アルコール依存症と何の関係もないような形で、また時間的にも関係ないようなタイミングで現れる事があるからです。自分自身は社会で成功し、幸せな家庭を築いて何の問題もなかった人が、些細な出来事をきっかけに、転落の人生を送る事だってあるのです。
例えば、頭痛、肩こり、緊張感、焦燥感、無力感、うつ、腹部不快感などが現れます。別にアルコール依存症の家族でなくても起きそうな症状です。これに、仕事でのストレスが重なったりすると、ますます、アルコール依存症だった家族との関連性がうすくなってしまいます。そして、個人療法による治療を受けに行くと、アルコール依存症の家族メンバーとの関連性は重要視されず、性格・人格・遺伝の問題として扱われたり、薬物療法の対象になったりするわけです。
例えば、うつ状態の人が、個人療法でアセスメント(心理査定と呼びます)などをすると、『あなたは性格的に○○的傾向があり完璧主義で・・・etc.』となります。
また、セラピストが家族のアルコール問題を質問しなかったり、自分が述べなければ、ますます性格的に診断名をつけられて、それに則った治療になります。これは、面接に来られた方の中に原因を求めるからです。
家族療法士(家)の場合、家族の情報を集めない事自体、アセスメントとしてありえません。そして、アルコールに絡む問題が認められる場合は、すぐにそれは、注目すべき点として扱われます。
もし、あきらかな器質的な問題(頭痛の場合は脳の損傷など)がない場合で、家族にアルコール依存症の人がいて、上記のような身体症状があり、これまでアルコール依存症との関係に注目したことがない方は、再考されることをお勧めします。
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